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会員との関わりの中の西郷先生

ここでは、西郷先生の在りし日の姿を通して、学者:西郷とはひと味違った、生の人間味豊かな西郷先生を思い描けたらと思います。(文は「米寿記念集」より抜粋。一部読みやすいように変えたところも。)

在りし日の姿

憑神
  野澤智子

(「西郷全集」の付録の月報に)西郷先生の生い立ちから書がれてあるのを見つけ、夢中で読みました。それはまるで歴史小説を読んでいるようなドラマチックな内容で、私の頭のなかでは西郷少年が青年になり、大人になり、選挙に立候補している様が映画のように浮かんできたのでした。そんな映画の主人公である先生の講義を聴きながら、ふと、先生の中学の頃や書生の頃などを勝手に想像して、目の前の先生とつなげて考えては不思議な思いに駆られているのです。
  (「米寿記念集」より)大阪 野澤智子

革新性と楽天性と
  上西信夫

 西郷先生の若々しさは、同じ所にとどまらず、常により新しいものを追求する生き方-進歩性・革新性にある。(中略)

 西郷先生の人間的な大きさは、楽天的であるということ。そして柔軟さである。私たちが学校現場の困難やサークルの窮状を嘆いても、そこにある希望を必ず指し示してくれる。「青色の絵の具がなければ黄色を使う」というピカソの言葉を引用して、「理論・研究においては厳密に原則的であることをモットーとしているが、運動・実践においては柔軟に、したたかである」ことを、ことあるごとに話されていた。

「米寿記念集」より  上西信夫

怒られてもけなされても
  北村修

 色々なときに、西郷先生をお迎えに行くことも多いのですが、私か待っていると、「また、おまえか。」と言われ、食事の時に先生の前にすわると、「めしがまずくなる。」と言われ続けていますが、それもやさしさに思えます。今では、顔を見ると気軽に声をかけていただき、冗談を言い合えるまでに親しくしていただき、とても光栄です。

(「米寿記念集」より)大阪 北村修

文芸学と出会って
  西郷京子

 「NHKビデオ『漢詩紀行百選』全十巻」が届いた。会長はうきうきした様子で荷をときテレビのわきに並べてながめていた。「詩、俳句、短歌が済んだからね、次は漢詩の美だ!」とのこと。

(「米寿記念集」より)岡山 西郷京子

緊張
  田中三郎

 私達のレポートでも、なめるように文章を読まれます。いい加減な文章は書けません。だから緊張するのです。学習会の発言についても、じっと耳を傾けてひと言ひと言ていねいに吟味されます。これがまた緊張するのです。いい加減なごまかしはききません。

(「米寿記念集」より)広島 田中三郎

教師としての筋道を
  藤井和寿

 先生は、反教育的な理論や実践に対しては非常に原則的に、また果敢に挑まれました。その好例が、徹底的な「法則化運動」批判です。

(「米寿記念集」より)広島 藤井和寿

めめめんたま
  花岡美由紀

 (西郷会長と初めてお会いし時)そのときの印象はというと、艶やかな白髪にお髭という姿からも、私の中で仙人とイメージが重なり、余計に緊張していたのを今でも覚えています。しかし、サークルの仲間と冗談を交えながら楽しくお話されている様子を見てカチコチの緊張がほぐれました。

 特講で居眠りしていた私がふと目を覚ますと、ちょっといたずらっぽく『そんなに難しい?』と笑顔でおっしゃったかと思うと、講義とは全く違う話題で気分転換をしてくださいました。

 (「米寿記念集」より)大阪 花岡美由紀

先生の温かさに支えられた
  齊藤鉄也

 (新卒の時に、加藤先生のすすめで参加した青年学校に新幹線で向かう道中)岡山駅で、隣の席に西郷先生が座られたのです。写真では西郷先生の姿を何度も見ていましたので、きっと西郷先生だろうと思ったものの、まさか新幹線で隣の席になる偶然があるだろうかと半信半疑でした。おもむろにかばんから文芸教育を取り出し、見えるところに置いて反応を伺ったり、どんな本を読まれているのだろうとのぞき込んでみたり、今考えればずいぷんと失礼なことをしたものだと申し訳なく思います。

 青年学校の会場で、やはりあの方が西郷先生だったのだと分かりましたが、緊張と恐れ多さから、ご挨拶に伺うこともできずにいました。すると、西郷先生の方から声を掛けていただき、青年学校のみなさんに紹介していただきました。西郷先生のあたたかいご配慮のおかげて、緊張を解き、会に馴染むことができました。

 (「米寿記念集」より)北海道 齊藤鉄也

米寿、おめでとうございます
  鈴木伸一郎

 自分の二倍以上の年齢の西郷先生が時には飛行機を乗り継いで、時には列車を乗り継いではるばる青森まで・・・。来るまでに、かなり疲れているはずです。それでも、連続講座・特別講座と、毎回予定された時開まで、

時にはそれ以上に語ってくださいます。そして、いつも「進化」する西郷先生には驚きです!特にパソコンを愛用するようになった時は、びっくりしました。

 (「米寿記念集」より)青森 鈴木伸一郎

先達は
  田中みどり

 「平家物語の旅」は西郷先生の発案たった。「平家物語」を読みながら、平家が勢力を握っていく京都から始まって、判官(義経)が屋島を攻め落とすまでの過程を辿る、たった二泊三日の旅だったが、それが終わる頃には「平家物語」の人物も世界もすっかり変わっていた。西郷先生という先達によって、ただの文庫本の活字が文章として立ち上がってきた。

(「米寿記念集」より)福岡 田中みどり

西郷先生の真似をして西郷先生の真似をしない
  山中吾郎

・西郷先生がふだん使っておられる道具は「用」の価値を吟味して選ばれたものばか

りです。外見に惑わされることなく、使いやすくて、じょうぶで長持ち、まるでおみつさんの作ったからぐつのようです。

・西郷先生は一冊の本を執筆するために、時には数百冊の関係書籍に目を通されることもあるといいます。たしかに西郷先生の移動用のカバンの中には常に何幵かの本が天っており、それらすべてに傍線や書き込みが付されています。

・食事をご一緒するときには、いつも野菜の料理を注文されており、栄養のバランスを気にしていらっしゃることがわかります。

(「米寿記念集」より)山口 山中吾郎

私の教師人生、西郷先生から
  畠中正奇

 (校内研究会-作文の見方-の講師としてお招きしたとき)「一年生から六年生までの作文をアトランダムでいいから集めてきて下さい。」と、昼食休憩の時、西郷先生からの依頼。あわてて、一年から六年までの作文を教室から集めてお渡しする。先生は昼食をとられながらサーツと目を通され、時折ボールペ

ンで朱線を引かれたり書き込みをされたり。

 そして、その一年生から六年生までの作文を基にしか、「認識と表現」についての分かりやすいお話に教師皆、吃驚仰天。

(「米寿記念集」より)福岡 畠中正奇

叱られることで育てていただいた
  宮宗基行

 西郷先生の言われることに気をつけてみれば、メンバー一人ひとりの条件を的確につかみ、それぞれの人の持ち味をうまく生かされていることがよく分かります。わたしも「持ち昧」を生かしていただいているのか、その後も叱られることは絶えることがありません。

(「米寿記念集」より)広島 宮宗基行

米寿を節目に、更なる活躍を
  高橋晋也

 西郷先生の知識の豊富さ、会話の柔らかさは、あっという間に無知な自分に合わせた会話で和ませてくれます。「山」を見ては山の話。「草木」を見ては、草木の話。果ては、民謡、食、民話、歴史に至るまでなんでも出てきます。その人間の幅に驚かされます

  (「米寿記念集」より)青森 高橋晋也

西郷先生語録より
  辻恵子

 若いころ、わけのわからないまま間違いだらけの提寨をし、核心をはずれた話し合いを重ねていたのを、粘り強く見守っていてくださった。その精神は「まあいいじゃないの。」なのかしら。遅々たる歩みの私たちに、倦むことなく(いやうんざりしていらしたに違いない)繰り返し教えてくださった。

   (「米寿記念集」より)千葉 辻恵子

西郷先生との出会い
  宇都宮貴子

 (お子さんの担任となり)参観日に来られても廊下の窓から「やあ。」と笑顔で手を挙げ、やさしい紳士といった印象でした。最初にレポートを引き受けたときも「ちょっとしたことだから、やってみない」とやわらかい口調のお誘いで、何も知らない私は、「はい、では、やってみます。」

(「米寿記念集」より)岡山 宇都宮貴

西郷先生、文芸研と出会って
  藤原景子

 青森開催の夏の全国大会でした。初日の基調講演、壇上で何と裸足で(!)熱く語る西郷先生と、そのお話に聞き入る全国の先生方の、不思議と温かい一体感に、とにかく驚いて心地よさを感じた。 

  (「米寿記念集」より)千葉 藤原景子

もし西郷会長と出会っていなかったら
  村尾聡

 やっと手頃な和食の店が見つかった。西郷会長の食事は、和食の店という条件があったのだ。TBSテレビの地下の店たった。お昼になり、西郷会長と運営委員らとでその店に行っだのだが、会長はえらくその店が気に入ったらしく、「なかなかこの店はいいね。」とご満悦だった。

(「米寿記念集」より)兵庫 村尾聡

西郷先生のすばらしさ
  紫原泉

 (「モチモチの木」のじさまの姿から)西郷先生がパソコンを打たれている姿を思い浮かべました。西郷先生は、いったい何歳から、パソコンを打たれ出したのでしょうか?

 とにかく「すばらしい」の一言に尽きる。

(「米寿記念集」より)岡山 紫原泉

はじめに子どもありき
  野澤正美

 よく公開授業をされます。その前夜は、明日の授業が楽しみで楽しみでたまらないそうです。子どもたちが、どんなことを言ってくれるだろうと思いめぐらすそうです。公開授業前夜の教師は、たいてい、明日のことが心配でたまらないのですが・・・。

(授業では)担任の心配する問題児と言われる児童をすぐさま察知するかのように、あてるのです。でも、その子との一問一答の問答のすごさと言ったらありません。筒単にはすわらせないで、その子の思いの丈を十二分に引き出してしまうのです。そして、担任に見えなかった一面を、西郷先生はいとも簡単に引き出すのです。

  (「米寿記念集」より)大阪 野澤正美)

出会えてよかった!
  佐藤恵美

 あんなにすばらしい理論をお考えになった先生だから、きっとまじめな方だろうと思ったら、とても気さくな方で、冗談もたくさん言われますし、周囲は笑いが絶えません。それに笑った時のお顔がとてもやさしく素敵なので、すっかり安心しました。
 「まだわかっとらんのか!」というお叱りの場面でも、先生の愛情を感じます。ああ、私達のためにこんなに叱ってくれているんだと思うと、喜びにも似た感情がわき起こります。見せかけではない、本当の意味でやさしい先生です。    

 (「米寿記念集」より)大阪 佐藤恵美

柏に初めて西郷先生をお迎えして
  野口栄一郎

 (1966年)講演会が終わっての帰り、私と加藤憲一さんは先生を「豚珍汗」という餃子の店に先生をご案内しました。

 この店のギョーザは大きくて脂ぎって、ギトギトしか感じがし、あっさりした物が好きな人ならゲーッという代物だったのですが、何と先生は若い我々以上に健啖で食欲旺盛、「ごんぎつね」の話し足りなかった所を語っては食べ、食べては語り、あきる事なく、アルコールなしで長時間話されました。

 (「米寿記念集」より)千葉 野口栄一郎

授業で、酒で、そして肴で
  斎藤光正

 西郷先生の送迎を任せられ、先生から個人的にいろいろな話を聞かせてもらったことが挙げられる。その話は、新しい論文や著作だけでなく、現代物理学からの宇宙論やら仏教哲学、そして先生の若かったころの経験談など多岐にわたった。

  (「米寿記念集」より)青森 齊藤光

これって中毒?
  谷口真美

 軽い気持ちで「さよ~なら~。」と手を振った私を見て、先輩のYさんが慌てて「すみません、まだこわい者知らずで!」と頭を下げられました。「まずかったかI」と焦った私に向かって、西郷先生は、車の中から投げキッスして返して下さったのです!

(「米寿記念集」より)山口 谷口真美

感謝 感謝 感謝
  片岡豊美

 講演に素足で壇上に立つこと、水差しにちゃっかりお酒を入れること、「皆さんは、私か分かるように話しているから分かっているつもりになってるんですよ。実は全く分かっていないんだ。」とぼやくこと、いい歯でバリバリ堅いせんべいをほおばること、旅から帰ると愛犬ミールにそれはそれは優しく声をかけていたこと、そして何より、いつもいつも進化し続けていること、・・・豪放磊落、何の飾りも持たないで輝く恒星。複雑でいてシンプルな螺旋構造を登り続ける西郷先生。

(「米寿記念集」より)岡山 片岡豊美

「一所不在」の旅人
  加藤憲一

 先生の中には、心身の鍛練をなす薩摩隼人の気風、「一所不在」の芸術創造の旅を続けた芭蕉の精神、宗教・芸術・科学・教育を統一したところの巨人宮澤賢治をはじめ幾多の現代科学者・研究者・芸術家のあらゆる知性が漂い、そのエキスが凝縮されています。米寿にしてなお運動的研究者として日本中を旅するそのお姿を見るとき、そこには、「一所不在」「旅を栖」とした芭蕉の生き方が先生の背中を押しているように思われます。

「米寿記念集」より  加藤憲一

年を取ったといつまでも言えない私たち
  大柿勝彦

 初めて会ったころの西郷先生は私に対してもやさしかった。つまり、初めて会った人、実践が未熟な人などにはやさしいのである。初めて西郷先生にあった時にはドキドキした。しかし、講演を頼んだら「いいよ。いつぐらいがいいの?」と気軽に言っていただいた。一方、サークル代表者会や事務局会での西郷先生はきびしい口調に豹変されることもある。人や場等によって接し方を変えられる。

(「米寿記念集」より)熊本 大柿勝彦

米寿を迎えられた西郷先生に
  藤井文夫

 (先生が40代、私が30代の頃)研究会や合宿、また公開授業の後など、酒を酌み交わしながら反省会を持ちました。西郷先生は、私たちに歯に衣着せぬ酷評を浴びせられます。でも、私たちも負けずに食い下がっていったものでした。激論の果て深夜に及ぶこともたびたびでしたが、西郷先生は、それを楽しんでおられるようでした。

(「米寿記念集」より)広島 藤井文夫

素敵な西郷先生へ
  泉谷亜希子

 (枚方集会で間近でお目にかかることができ)飄々としていてでも瞳が温かそうな人だなという印象を受けました。そして何よりも西郷先生が茶目っ気たっぷりにサークル員に対して、「この人、ひどいんだよ。」と、目を細めて挨拶されていたからだと思います。 ああ、聞いてた通り型破りで知的でユーモアのある方だと。

 (「米寿記念集」より)大阪 泉谷亜希子

竜は嵐を呼んで天へ昇る
  清田和幸

「また、頼むよ。」 学習会の最中ではありません。休憩時間に、携帯電話に電話番号を登録するためです。ちなみに、その携帯電話には、そうそうたる方々の番号がぎっしりつまっており、私の次元から考えると、高い高いところで活躍されているのだと、携帯電話に番号を打ち込みながら、いつも思わされます。

(「米寿記念集」より)山口 清田和幸

西郷先生と文芸研と
  佐々木智治

・(震災1年目の例会で初めて出会って)その時の印象は、近寄りがたくて厳しい感じだったと記憶しています。

・(青年学校で)学習を終えた後の交流会になると一転してにこやかな笑顔で話され、こちらとしても二日間で唯一、緊張が解ける一瞬でした。

・広島でのお気に入りは、小イワシの天ぷらと野菜の天ぷらでした。焼酎を飲みながら、科学や哲学や芸術などの学問の最先端のお話や西郷先生の人生の思い出話を聞くのがとても楽しかったです。

(「米寿記念集」より)広島 佐々木

幸せなこと
  高橋睦子

青森大会のプレ集会のことです。集会の前日から風邪をひかれたようで、午後の講演はできないのではという心配が出てきました。ところが、西郷先生は市販の風邪薬を飲んでホテルの部屋を温かくして籠もり、汗をかくことで熱を下げ、午後の講演に開に合わせておいでになったのです。しかも、「始まったら教えてください。少し歩いているから。」と、会場前の廊下を何度も何度も往復して歩かれるのです。体調をもどすための運動なのだと後でお聞きしました。

 徹底した自己管理かあるからこそ私たちが講義を受けることができるのだ、ということを実感した場面でした。

(「米寿記念集」より)青森 高橋

・本来なら掲載については書き手の了解を得るべき所、いちいち連絡しませんでした。不都合がありましたら、ご連絡下さい。(サークル内で確認できたら幸いです)
・抜粋ですので、筆者の意図からずれているかもしれません。ご容赦下さい。
・西郷先生のこんな面も、というのがありましたら、樋園まで送って下さい。

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